料理番組における言葉遣いについて

 以前から耳にするたびに不安になっていることがある。料理番組でつかわれる言い回しについてだ。なかでもよく使われる表現、「耳たぶくらいの堅さにしてください」という表現というのはどうなんだろう。この表現を聞くたびに、底知れぬ不安に駆られる。

 たとえば頑固で有名なパン屋のオヤジがいたとする。仮にKと呼ぼう。頑固オヤジKさんは頑固一徹、自分の満足するパンでないと客には絶対に出さない。仮に客がうまいといっても自分が納得できないものは許せない。とにかく「頑固一徹」というほどKさんにぴったりな言葉はない。Kさんのパン屋は「ベーカリー江戸」。

 Aさんという人がいる。Aさんはパンが子供の頃から死ぬほど大好きで、いつかはパン屋を開業したいと思っていた。とはいえ、金もないし、自分がほんとうにパン屋をやっていける自信もなく、大学を卒業すると同時に、とりあえず銀行に就職する。就職した銀行で5年間働いたところでAさんは思った。

 「おれはパン屋になりたいんだ。やりたいのは銀行マンじゃない。おれはパン屋になる!」

 新橋で同僚と飲んだ帰り、秋の星空を見上げながらAさんの心は決まった。翌日、上司に辞表を出したAさんは早速パン屋に弟子入りする。弟子入りしたパン屋が頑固一徹で有名なKさんの「ベーカリー江戸」だった。

 さっそく修行をはじめた元銀行マンのAさん。必死で皿洗いからはじめ、一年ほどたったところで、やっと頑固一徹K師匠に認められる。そして待ちに待ったK師匠のレクチャー。そこで発せられる言葉がこうだ。

 「耳たぶくらいの堅さにするんだぞ。」

 師匠の言葉は絶対である。自分の耳たぶの堅さ何回も何回も確かめながらパン粉をこねる。そして師匠に堅さをチェックしてもらう。

 「だめだ!堅い!違う!」

 おかしい。なんでだ。おかしい。耳たぶの堅さのはずなのに。そう思いながらも、また一から作り直す元銀行マンAさん。何回繰り返しても師匠の言葉は同じ。

 「違う!」

 季節は代わり、冬になった。いっこうに師匠の求める堅さにはならない。焦り、そして迷いはじめる元銀行マンAさん。俺には才能が無いのではないか。あのまま銀行マンを続けていればよかったのではないか。俺ももうすぐ30だ。どうしよう。募る不安。ノイローゼ気味のAさん。

 ある冬の寒い日のこと、「ベーカリー江戸」に行かなければいけないはずのAさんは独り部屋の窓から外を眺めていた。目は中空を見つめていた。ちらちらと雪が降り始めていた。

 「もう、だめだ・・・」

 Aさんの心は抜け殻のようになっていた。Aさんはうつろな表情のまま、ゆっくりと立ち上がると、バスルームにむかっていた。手にはカミソリが握られていた。カミソリの刃で静かに手首を切る。ドクドクと流れ出す赤い血。

 そのころ、頑固だけど情には厚い江戸っ子のK師匠は、店に出勤してこず、電話にもでないAさんの事を心配していた。昼を過ぎてもこないAさんを心配してパン屋をでる。向かう先はAさん宅だ。

 ドアをたたく。反応が無い。

 もう一度、ドアをたたく。やはり、反応が無い。

 鍵は開いたまま。なかの電気はついている。

 「おーい、はいるぞ。」

 不安に駆られながらも、明かりの漏れるバスルームをのぞくKさん。そこで血だらけになるグッタリしているAさんを発見する。

 「おい!大丈夫か!しっかりしろ!」

 「し、師匠。もう、ダメです。わ、わたしにはパンづくりには向いていないんです。お、おせわになりました。さ、さ、ようなら。」

 Aさんの頭を抱え、必死に呼びかけるK師匠。

 「大丈夫か!がんばれ!死ぬな!今、救急車を呼ぶからな!」

 「だめです。わ、わたしには耳たぶの堅さには、で、できないんです。」

 「がんばれ!」

 「う、う、・・・」

 次第に声に張りが無くなるAさん。K師匠はAさんの頭をしっかり抱える。そのときちょうどK師匠の指がAさんの耳たぶに指が触れた。

 「か、かたい・・・。どうりでおまえのパンは堅かったのか・・・・」

 「えっ。ゴフッ。」

 Aさん。深い失意の中で死去。

 享年29才。

 窓の外では雪が本格的に降り始めていた。

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