むかしのわたし

 文章を書くのが趣味なわたしのパソコンには、1998年から書きためてきた文章がいろいろ眠っています。本当は1996年から1998年までの分もあったのですが、保存していたFDが壊れ、ほかにどっかにバックアップ取っておいたはずのものも無くなり、霧の様に消えて無くなってしまいました。消えてしまったときは、もうパソコンなんて永遠に信用しねえぜ、という気分になり、文章をパソコンでかく気も一気に失せたモノでした。やっぱりバックアップは二重にも三重にもせねばいけない、ということですな。

 しかし、また懲りないことに書き始め、1998年から2000年までの分だけで200文書くらいあります。ま、多くのものはメモと日記を合わせたような短いモノです。それで昔書いたモノをヒマなとき、というかヒマだった今、見ていたのですが、気づいたのは、やる気がグッと減っていると言うことですね。むかしのわたしは実に血気盛ん、やる気に満ちあふれていたモンだと、複雑な心境になりました。でも、あまり変わっていないところもありました。それは欲です。

 たとえば「モバイルギアがほしい!モバイルギアがほしい!とくにモノクロがいい。小さなモノクロマシンに大量の情報を詰め込み、自由に操ってみたいではないか!こんなに小さいし、みためもしょぼしょぼだけど中身は違うんだぞ、っていうのはなかなかロマンティクじゃないか!」と1999年12月20日に書いている。

 「モバイルギアが欲しい」とわめいたその約3ヶ月後に、妥協してカシオペアを買い、「うーん、物欲はおそろしいなあ。人生の敵だなあ。」と書いています。衝動的に金を使ってしまったときの心境が手に取るようにわかります。

 さらに「「愛は盲目である」というのは非常に真である。わたしもカシオペアに対する愛=物欲によって、カシオペアの欠点がみえなくなっていた。あばたもえくぼ、というのは非常に真である。恐ろしいはなしだ。」と次の日に書いています。これも次の日に早速カシオペアの欠点に気づき、泣きそうになっている心境が良くあらわれています。実際わたしは泣きました。

 ほかにも「ノートパソコンが欲しい!」(スゲエたくさん書いている)とか「リナックスをインストールせねば!」(これも1999年ころを中心にたくさん書いている)とか「摩周湖に行きたい!」(1998年3月10日)とか、「DVDが欲しい!」(何回か書いている)とか、その他にも物欲を中心とする欲望だけは相変わらず変わっていないと言うことがわかりました。

 しかし、「ノートパソコンが欲しい!」というのが200文章中20くらいの文章に書かれているのはまだ良いとして、なぜ「摩周湖に行きたい!」と書いたんだろう。しかもテキスト文書を開くとそれ一文だけ。しかも「!」つき。謎です。書いた自分でも覚えていないのが怖い。

 あ、カシオペアですか?10回くらい使ってあとはどっかにしまったままです。

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