キーボードとわたし

 パソコン使って6年のわたしだが、実を申せばキーボード歴は10年近く、ブラインドタッチ歴も6年近くなる。そんなこんなでわたしは、いぶし銀のブラインドタッチ人間である。そんな根本的なブラインドタッチ人間であるわたしは、ものごころ付いてからの人生の半分以上をブラインドタッチして生きてきた、といっても過言ではない。

 最初にキーボードに出会ったのはワープロ専用機を購入した小学生のころであった。しかし、そのワープロ専用機は変換効率はケツがムズムズするほど最悪、キーボードのキータッチも、まだ、かじかんだ手で普通のキーボードを打った方がマシなのではないか、というくらい最悪で、ある時頭に来てホテルの窓から放り投げて壊して捨ててしまった。 つぎにキーボードとであったのはパソコンを買ってからである。パソコンを買ってすぐにブラインドタッチをマスターしたわたしは、それ以来毎日のようにキーボードとふれあっている。キーボードと触れない日はほとんど無いと言って良いだろう。とにかく、徹頭徹尾パーフェクトなブラインドタッチ人間であるといって良い。

 そんなわけでわたしは文章を手とボールペンとか手と鉛筆とかで書くと言うことがほとんどない。メモ程度に書くことがあっても、丁寧に書くこともない。そんなわけで字が年々下手になり、今ではほとんど解読不可能である。それ以上に深刻、いや、それと同じくらい深刻なのは、漢字がおもいだせないことで、この前などは「上」という漢字が思い出せなかった。もう、末期症状である。小学生レベルにまで退化しており、このままではどうなるのか、そこはかとなく不安になったりする。

 というわけでパソコンというかキーボードというヤツはなかなか困った側面ももっているのだが、やっぱりキーボードという文字入力装置抜きではパソコンは成り立ないだろう。最近ではキーボード以外にも音声入力という、一昔前では夢のように思われていたなかなかサイバー感漂うスゴイ技術が一般でも使われるようになっているが、やっぱり声で入力するのと指で入力するのでは全く違う。というかわたしは音声入力をしたことが無いのだが。

 たとえば、わたしは夜中に文章を書くことが多いのだけれど、夜中にパソコンに向かってブツブツブツブツ呟いているというのは、どう考えても気持ち悪い。さらにオフィスなどで10人も20人もの人間がパソコンに向かってブツブツブツブツ呟いているというのもイヤだ。

 やっぱりパソコンにはキーボードなのだ。だれかも言っていたような気がするが、キーボードで入力しているとよく分かるが、「手が思考している」という感じがある。わたしはコレまでキーボードと共に生きてきた。これからも生きていくだろう。

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