キャミソール感について

 本日は10月の15日です。きょうは十月とは思えない、非常識的な暑さで、長袖長ズボンなんかじゃあ、もう汗だくになりそうなくらいだったので、というか汗だくになりつつあったので、外を出歩いているときは、上に来ていたワイシャツみたいなものを鞄にしまって、半袖Tシャツ一枚でいました。本音を漏らすならTシャツも脱ぎたいぐらいでした。というか、わたしは根本的に暑がりで、ひとが寒いとか言っているときでも、「あちぃ、あちぃ」とか言っていいつつ、汗をかいております。夏は家にいるときは、上半身裸でして、下半身も裸、なんてことは無く、下半身は短パンみたいな物をはいてるという状態が多いのです。といったわけでわたしは筋金入りの暑がり、頑固な暑がり野郎なのです。

 もし、わたしが女だったら、なにを夏に着るか。絶対にキャミソールでしょう。というかキャミソールを一回きてみたいと前々から思っているんです。やっぱキャミソールはセクシーでいいですね。なんというか、一枚はがせばそこはもう違う世界、みたいな。一枚はがせばそこはもう夢の世界、みたいな。一枚むけばそこに実がある、みたいな。薄皮隔てて、そこには甘いあんこが、つまり薄皮あんぱん、みたいな。薄壁へだててお隣さん、しかもお隣さんは一人暮らしの女子大生、みたいな。なんとなく想像力をかき立てられる物があります。

 キャミソールという言葉自体も何となくソソられるものがあります。若いモンは「キャミ」と略して呼びますが、略すとより一層、薄皮あんぱん的な「キャミソール感」がアップします。しかし、注意しなければいけないのは、「きゃみ」と野太い声の男が唸る様に言っても全く「キャミソール感」が伝わらないと言うことです。かといって岸田今日子みたいなひとが「キャミ」といったところで、これまた伝わりません。若くてピチピチの「ギャル」が「キャンキャン」した声で「キャミ!」といったときのみ、「キャミソール感」が十分に伝わります。キャミソール度100です。つまり、「キャミ」がなぜ、若々しい、感じと結びついているかというと、「キャン」「ギャル」「キャミ」という言葉と比較することでおわかりになることでしょう。

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