ステレオタイプは人間を偏狭にする

 ステレオタイプにとらわれて物事を見ることは、視野を狭めてしまうことになる。ステレオタイプというのは、紋切り型と日本語に訳されているように、何々といったら何々、といった考え方のことだ。例えば、日本人といったら、カメラ+メガネ+フジヤマ+ゲイシャ、アメリカ人といったらホッドドッグ+オーバーリアクション+白人+キリスト教徒+英語をしゃべる、というような考え方だ。ニコラス・ケイジといったらパチンコ。これらのステレオタイプは実際、おうおうにして間違いであるし、たとえステレオタイプにあてはまったとしても、考え方を硬直させ偏狭なものにしてしまうだけだ。

 と、突然ですが、もしアナタが若く美しいピチピチちゃぷちゃぷランランランな感じの女性なら質問なんですが、ブラとパンツの色は何色ですか?よかったら具体的に教えてください。さらによかったら写真付きでメール送ってきて下さい。さらにさらによろしければ脱いじゃっていてもかまいません。というか、脱いで下さい。電話番号もおわすれないように。

 と、アナタはわたしの発言がセクハラに当たるとおもっただろうが、実はそれはアナタがステレオタイプにとらわれている証拠なのだ。じつはこれはまったくセクハラでもなんでもない。一種のコミュニケーションなのだ。だから安心してメールを送ったてくださいって、メールを送ったりしたら、いけません。もしメール送った相手が変態だったりすると危険だからです。だけど、わたしはまったく安全。安全でセーフティだから安心して下さい。ちゃんと避妊しますから。もし避妊に失敗しても認知しません。ちゃんと否認しますから。

 と、なんとなく話が盛り上がってきたところで、話をステレオタイプにもどすと、ステレオタイプのなかにはほとんど真理とでも言えるようなものがある。その筆頭にあげられるのは、「大阪人はおしゃべり」、というステレオタイプ、これはわたし自身ステレオタイプの一種であると思っていたが真理である。わたし自身、数多くの大阪人と友人、知人として関わりを持ってきたが、いまだかつて口数のすくない大阪人に出会ったことがない。その中で最も口数が少ないと思われる飯沼君でさえ・・・、おっと時間が無いのでこの辺で。

 と、わたしが突然話を終わらせようとしたのは、話がうまくまとまらなかったからだ、とおもった人がいるだろう。しかし、それこそまさにステレオタイプというものである、こいうことは言うまでもない。

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