ロマン・ポランスキー監督 『テス』
一年近くも久し振りに映画を見たので、映画の見方みたいなモノがイマイチ鈍っている感じがした。
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人生ってきっついなぁー、というのが正直な感想。
苦しい労働から逃れようと思えば、そこにも苦しさがあり、豊かな物質の中にも苦しさがあり、愛というものには必ず苦しさがピッタリと裏にくっついているし、やっぱ人生ってきっついなー、結局は、幸せなのは(世俗的な現実から)逃げている間だけだなぁーっていうふうに思った。
最後のシーンで警察がテスを捕まえに来て「寝ているのでもう少しそっとしておいてください」というのが象徴的。やっぱ寝てる時はいいよねー、と強く強く思う。
トマス・ハーディの原作のタイトルは『ダーバビル家のテス』というのが原題だけれども、この「ダーバビル家の」というのが重要なのだろう。人間は社会から逃れることは絶対に不可能だということを象徴している。
テスは作中で何通りもの呼び方をされるが、これも同じく社会と個人、ということを描いていると言うことを示しているのだろう。社会と愛と人間の関わりを普遍的に描き出していて、やっぱどの時代でも人生ってきっついだな、と思ってしまう。
作品のなかにはスゴイ悪人とか、スゴイ善人は登場しないし、すべでの登場人物の行動もどれもが意味不明の行動をしているとか、まったく理解できない行動だとは思えない。どれも十分理解できる行動であって、自分が登場人物の立場だったらそうするかも、という行動をとる。リアリティーがある。だからこそグイグイ迫るモノがある。
美貌がテスを不幸に導く原因になっていることは間違いない。じゃあ不細工だったら良いのか、といったらそんなはずもなく(そりゃそうだろう)、救いがない。過去を告白しないで秘密を抱えたまま生きていけば良かったかと言えば、バレる可能性も無きしもあらずだし、第一秘密があると言うこと事態に苦しまなければならず、そんなはずも無い。
最後にエンジェルがテスに会いに行かなければ、テスは一生幸せにくらせたかというと、そうとも考えられない。豪華絢爛な家もみていて痛ましいし、逆に自然のなかでの肉体労働も痛ましく、ここでも救いがない。
いろんな選択肢があるんだけれども、どんな選択肢をとってもやっぱり不幸はかならず待っている、という感じで、どうにもこうにも見ていて「うわー辛いなぁー」と思えてくる。
でも、実際の人生なんてそんなもんで、たとえば「自由が欲しい!」とか言ってフリーターやっている人は、つねに不安を抱えていたり、少ない収入に悩んだりしなきゃならないし、じゃあ企業で働けば良いかというと、企業で働けば働いたで会社に縛られ、下らない会議に参加して長時間労働にもかかわらず収入がすくなかったり。
家が恵まれていれば良いかというと、ちょっとスゴイ事しても「そんなの当然だろ」と思われてしまったり、じゃあ家が恵まれてなければ良いかというと、そんなことあるはずかない。仕事で成功して金をバンバン儲けたら良いかというと、バンバン儲けた金を使う暇がなかったりする。頂点をきわめたアイドルが「普通の女の子にもどりたい!」とかいってアイドルを止める。成功した人間は、過去の栄光に苦しめられ続けなければならないのだ。
結局いちばん幸せなのは、人生についてまともに考える思考能力が無い人(子供とか)とか思考能力が無い時(寝ている時とか、酔っぱらっている時とか)なのだ。
あるいは、選択肢としては現世での幸福というモノに価値を置かず、信仰に生きると言うことなのだろうけれども、この『テス』はそういった来世的な思想というモノを否定している。(エンジェルがそうだ。原作のハーディ自身も来世的思想というモノを信じることができなかったという話だ。)
サンテグジュペリの『星の王子さま』に、酒をいつものんでいる人がでてきて、「なんで飲んでいるの?」って聞かれると「飲んだくれていることを忘れたいから」って答えるのがあって、王子さまが「大人ってふしぎだなぁ」って言うのがあったと思うんだけど、ホントに人生とはそんなモンだ。
ああ、やっぱ人生辛いなぁー、と思わせる本当に暗い映画だ。なぜくらいかというと、真実をリアルに提示しているから。
ラストにストーンヘンジがでてくるのだけれども、これはなんなのだろう。ストーンヘンジはかなーり昔に作られた遺跡だが、いわゆる社会の象徴であって(ひとりじゃああんなものは作れないから)、むかしから社会のなかで生きてきたんだよ、ってことを言おうとしているのだろうか。よくわからないけど。
イギリスの田園風景を映し出した映像はとても美しいとおもったのだが、テスを演じる女優はそれほどスゴイ美女だとは思わなかったし、エンジェルを演じた男優もそれほどいい男には見えなかった。(ネットで調べてみるとテスを演じる女優の美しさが超絶賛されているのだけれど)
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