このたびサイト名を「505」から「勝訴505」に変更しました。変更したのは裁判において、冤罪が認められ勝訴したから、というわけでもなく、ましてや椎名林檎の影響を受けたわけでもなく、ただ何となく改名したくなった気分のときに咄嗟にわたしの前頭葉に浮かんできた言葉が「勝訴」であったと、ただそれだけの理由で、深い理由であるとか、名称の必然性などという物は一切ありません。というよりも名称という物は必然的にあるものではなく、すべては偶然の産物、というかなんとなくつけられた物であるということを、わたしは繰り返し主張していきたいと思います。すなわち、名称と実体はなんの関連性もない。
さて、勝訴といえばなにが思い浮かぶかというと、裁判所からスーツを着た男が息を切らせながら興奮した面もちで走ってきてバッと紙を広げるとそこに「勝訴」と描いてあるという光景でありましょう。これははっきり言って陳腐すぎる。走ってきて広げたら「勝訴」あるいは「敗訴」。それ以外の光景という物はあまり見かけない。
わたしはオリジナリティーというものが好きです。これからの世の中はなんといっても大事なのはオリジナリティーでありましょう。他人と同じというのはまったくもってよろしくない。であるからにして、こういった「勝訴」の光景にも改革が必要なのではないかと思います。たとえば、男が走ってくる。そして紙をバッと広げる。すると紙には何も書かれていない。アレッとおもっていると、そこにもう一人の男がストーブを持って走ってくる。紙をストーブに当てると徐々に文字が浮かび上がってくる。「勝・」。さらにあぶる。「勝訴」。おお、勝訴か!。という具合。称して、あぶり出し勝訴。こういう「焦らして焦らして、そしてやっと結論がでる」形式の勝訴発表というのもいいのではないか、そんな風におもう今日この頃ですが、これからも「勝訴505」をよろしくお願いいたします。
2002年12月13日 中山健太郎